社会保険労務士合格体験記

1.受験動機

私が社会保険労務士を取ろうと思ったのは、1994年(平成6年)8月15日の36歳半ばにさしかかった時のことです。

私は、ちょうどその時胆嚢炎で病院に入院して2週間目になろうとしていました。

それまでソフトテニスばかりしており、もう一回国体に出場してみたいと思っていました。以前28歳の時に国体に出場して以来一時やめていました。しかし、35歳以上45歳未満のクラスがあり、もう一度出てみるか、と1年前から機会を伺っていました。

しかし、この年の春、試合中に足首の捻挫のため3ヶ月間の長期離脱、そしてやっと直ったと思ったら練習1日だけで入院となり、国体の夢も絶望となってしまいました。

最初、病名も慢性肝炎でもう激しい運動はできないと宣告され、しかも仕事でも壁に突き当たっていましたから、もう毎日この先私はどうなるんだろう、という思いでベッドに寝たままずっと考えていました。

その時、「何か自分でできることをしよう。私にできることはもう勉強しかない。」と思い定め、総務に以前いたため社会保険労務士なら短期間で取れるかもしれない、しかも、もし取ったら将来独立も夢ではないかもしれない、などと思い、始めることにしました。

2.1年目

最初は、独学でなんとかなると思い、受験参考書を買って始めたのですが、なかなかうまくいきません。そのため、受験学校をいろいろ調べてみたのですが有力校は広島にあるだけでした。遠くてしかもお金もかかる、ということで行くのは断念して自分でしていたのですが、ある時、新聞の広告にNHK福山で生徒募集をしているのが目につき、すぐさま通いはじめました。もう10月になっていました。

生徒は約40名と多かったのですが、その中で以降合格したのは2〜3名くらいではなかったかと思います。

しかし、翌年の4月ごろまで本をただ読むだけという講義スタイルだったため、表面的なことしか理解できず、模試の結果も低空飛行のまま試験日を迎え、結局不合格となりました。

3.2年目

あえなく不合格となったわけですが、毎日勉強時間を3〜4時間、土・日曜日は7〜8時間はとっていたように思います。家族にはすごく迷惑をかけました。

子供が小さかったため、遊びにもつれていかず、また地域の会合にもなかなか出席できず、いらいらして精神状態もますますひどくなっていったころです。

2年目も同じNHKで勉強しましたが、どうも実力も伸びず、いらいらしていました。

そして、4月29日に広島でマンパワーの模試を受けたのですが、この時NHKで一緒に勉強していた人と会い、マンパワー広島校で勉強していると聞いたのです。そしてこっちの方がいいと進めるので5月3日からの集中講義に参加し、それから試験まで約2ヶ月程広島に通いました。

やはり自分の実力はまだついていなく、合格点は最後までとることができません。いくらやっても合格点まで届かないのです。

今回の受験地は高松にしました。前回が広島で受けたのですが冷房が効かず、暑さにやられて実力が発揮できなかったのではと考え(実際は実力がなかっただけ)、ホテルの会議室である香川県高松市で受けることにしました。

前日から泊まりこみで行き、予想通り暑くなく順調に答案も書けました。終わったと同時に高松駅から瀬戸大橋を経由して自宅に帰りましたが、その時の瀬戸大橋から見た風景はとても素晴らしく、今でも思い出すことができます。

結局、その日以来、社労士の勉強はしていません。

4.合格

自己採点をしてみましたが、択一は43点でなんとかクリアー。でも記述は合計点はあったのですが一般知識が2点しかありません。合格基準は3点以上必要なのです。11月1日の合格発表の日までずっと悶々とした日を送りました。

11月1日の合格発表の日、高松で受けているため全くどうなっているのかわかりません。でもお昼前に受験でお世話になった先生から電話が来て、「合格してます。おめでとう」と言われた瞬間、ホッとしました。やっと通った。そんな気持ちでした。

またその時は中小企業診断士の1次試験の勉強をもう始めていたので、「良かった。これで診断士の勉強に集中できる。」と思ったものです。

5.参考書・問題集

日本マンパワー参考書・問題集

「社労士試験問題集シリーズ」(過去問、完全予想、記述式)」日本法令

「社会保険労務士・合格ノート」東京法経学院

「社労士横断整理ノート」法学書院

6.その後

現在まで、社労士の勉強はほとんどしていません。今回退職することになって、どうだったかなと思い直しますが、なかなか出てきません。継続して勉強していないとやはり忘れますね。

少しでも本等を見て忘れないようにしておいた方が良かったと反省しています。

 

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